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WS Journal 12 草から紐へ -植物との呼応を探る-

身体への集中は、瞑想の導入としてよく用いられる。
そこで、参加者の方が自然と身体へ意識を向けられる内容にしようと、糸績みからはじめ、腰で経糸を張った織りの工程を含めることにした。

経糸を張るための道具を使わず、自らの身体を使うこの方法。
腰は痛くなるし、作業を中断するのも一苦労。
より便利に速く効率的に織るため専用の道具が発達し、経糸は織り機に張られるようになっていった。
でも、やっぱり腰で経糸を張ることでしか生まれない揺らぎがある。
緯糸を打ち込むタイミングで、張力を微妙に調整することができるからこその揺らぎ。
出来上がった布は、同じ手織りであっても、高機のように経糸を固定して織ったものとはまた違った奥行きを持つ。
また、そういった「揺らぎ」や「遊び」がある道具こそ、表現の幅が広いと感じている。
ピタッと固定してしまえば、扱いやすいしより簡単に均一なものができるが、自由度は低くなる。
一見不便に思える昔ながらの道具や方法には、奥深い面白さがある。
(正確には、今回使用したバンド織り機は比較的新しく、数世紀前に作られたものだそう。)

そして、こうした道具や方法を用いると、自分の身体への意識の向け方もまったく変わってくる。
作りたい対象、自分が働きかける対象と、自分自身とが切り離せなくなる。
うまく身体を扱えないと、その微妙な歪みがそのまま布に現れてしまう。
自分の身体へと意識が深く沈んでいくと同時に、その感覚は対象へと広がっていく。
さらにそこへ、「からむし」という植物そのものが現れる、揺らぎのある手績みの糸を使うことで、この微細な感覚はより研ぎ澄まされる。
その植物が育った土、そこに降った雨や雪、空気に含まれる湿度やかおり、吹く風。
微生物たち、虫たち、動物たち。
それらに育まれた植物のいのちが、確かにそこに感じられる。

自分へと深く深く根を下ろしていくことで、その先へと開かれていくもの。
世界と自分との境界が、薄く薄くなっていくこと。
確かに自分は在るのだけれど、世界と一体となるような感覚。
私は、瞑想をそういうものだと感じている。
身体とものを通す、物理的な補助を介して、そうした感覚を体感できる作業。
「昔の人は」という言葉は、あまり使いたくない。
でも、こうした作業が生活に欠かせないものとして当たり前に含まれていた時代には、今とは違った感覚があったのかもしれない。

今こうしてパソコンに向かい文章を書いている時間も、私にとっては大切な時間。
けれど時には、もっと物理的なものに向き合うこと。
世界やいのちと体当たりで向き合う時間も、大切にしたい。

そんな思いで行ったワークショップだった。


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Mindful City Kamakura Weekの開催イベント
於 和cafe&ぎゃらりー伊砂さま

Year:

2025年

Materials:

ramie, からむし

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